ヤンデレの魅力を未来日記から見てみる。


久々のマジエントリーです。

未来日記3巻が発売されたということで、このマンガからヤンデレについて少し考察をしてみようと思います。

このマンガの最大の魅力、それは由乃というキャラでしょう。このステキで狂気なキャラが時に爆弾級の恐怖を生み出し、時に地雷並みの可愛らしさを発揮する。特に、ユッキーと遊園地デートした時の由乃の可愛らしさは異常です。水着が流されるハプニングに対する由乃のリアクション。アレだけ見ればただの萌えキャラです。しかし、その後の由乃は・・・。斧でぶっ刺して

ちょろい」・・・・・・・


しかし由乃は可愛らしいしぐさを見せますが、同じくらい恐ろしいしぐさをして見せます。それはストーキングしかり、包丁持参でユッキーの家に押しかけたり(窓を割って侵入)・・・。由乃のユッキーへの愛は無限なんだなと思わせられる瞬間ですよ。

そして何よりもこの作品中で一番人を殺しているのが由乃でしょう。これがスパロボだったらエースクラスになれますよ。そんくらい人をゴミのように殺します(ムスカもビックリ)。子供だろうが容赦なく・・・。
その行動の理由はやはりユッキー。その行動の結果もまたユッキーのため・・・。これが純愛ってやつの正体なのかもしれません。純愛と偏愛は紙一重なのではなく、結果によって変わるのだと思うようになりました。

話が少し脱線します。
ジョシュ・ハートネットの主演映画で、彼が街ですれ違った女性に一目惚れだったか昔の恋人に似てたからストーキングをする映画が確かありました(別の人かもしれませんが・・・)。しかし、その映画では彼は純愛を貫いたということになり、彼のストーキングという行為は、嫌味な言い方をすると『正当化』されたといえます。

さて、上に書いたことを踏まえて由乃という女性を考えて見ます。すると、行動が過激すぎるということ以外は、俗に言う『純愛』となんら変わりが無いのです。つまり『純愛』と『偏愛』はイコールなんじゃないかと由乃の偏愛とは、ジョシュの純愛とほとんど同じわけですから。

ただ、『ほとんど』ということはもちろん違う部分もありまして、ジョシュの『純愛』が相手女性のことを知りたいがための行為なのに対して、由乃の『偏愛』は、ユッキーを自分のものにしたいという、欲望のみで動いているというところです。


これを試しに自分がストーキングされる側になったと考えてみてください。

嫌ですよね?

ストーキングされて喜ぶ人間なんてドMな性癖を持っている人くらいのものでしょう。まぁモテない男の心理として、可愛い女性にストーキングされるということも悪くは無いかも、なんて考えたりもしますが、やっぱり実際に『被害』にあってみれば嫌になると思います。

それなのに、未来日記由乃は『嫌じゃない』んです。

モチロン読む人によって受け取り方は様々で、『それがいい』と思う人もいるだろうし『それが嫌』という人がいると思うんですが、3巻まで購入した人ならきっと由乃ヤンデレな魅力に心惹かれたのだと信じています。


なので、嫌じゃないはず。そう勝手に解釈した上で語ります。
上で『ヤンデレ』と書きました。これはこれといった定義づけがありません。なので、人それぞれヤンデレを楽しんでほしいんですが、このヤンデレという要素は
『純愛』を描く反面、その純粋すぎる感情を『偏愛』として描かれているキャラクター
なんじゃないかと。

上の2人のほかにも例がいまして、アニメ「蒼穹のファフナー」に登場した春日井甲洋。敵に同化された体の状態で目が覚める回があるんですが、そのとき彼は自分の家に帰ったあと、羽佐間翔子を想うあまり、その翔子の墓へと直行し、墓を磨いているのです。彼がいかに翔子を想っているかがこれまでも描かれていたのですが、敵に同化された状態だってのに墓磨き・・・。これはもはや愛を通り越して執念と呼んでもいいかもしれません。ある意味ホラーです・・・。

ヤンデレの「ヤン」の部分にはそのホラーなイメージが付きまとっているのではないかと思います。ホラーをスプラッタと言い換えてもいいと思います。実際、ストーキングなんて行為もホラーですよ。斧でぶった斬って「ちょろい」なんてスプラッタなイメージです。