僕の恋愛マンガ論の追記

ブログの方で書いた、『僕の恋愛マンガ論』の追記というか続きです。


●恋愛の過程をマラソンコースに例えてみる
恋愛マンガのスタート地点は恋をすることから始まるのだと思います。当然かもしれませんが。んで、ゴールへの区間を走るのが相手を知ることで、ゴールが両思いになること。結果として付き合うこと、または周囲にそう認知されること。そう考えてみてください。


単に恋愛したいだけなんじゃないの?と思えるのが、学生が主人公の恋愛マンガ。スタート地点の相手がAちゃんじゃなくても成り立つのが多いんです。BちゃんであろうがCちゃんであろうが。でも、相手が誰でもいいというわけではありません。主人公が、ドキっとした相手が必要なわけです。この辺を説明する文章力が俺には無いのですが、「あいこら」を使って説明してみたいと思います。
スタート地点がABCでもいいというのは、素敵パーツを持ってるなら誰でも良いというハチベエの考え方と同じようなものです。ですが、彼は天幕に恋をしました。それは『天幕だから』です。つまり、素敵パーツである『目』を持っていなくても好きになった、ということ。これはスタート地点からゴールへの区間を走ることと同じようなもので、相手が『天幕』だから走ってる、みたいな。そして、ゴールで両思いというか、周囲の認知って感じでしょうか。


●恋の過程によってはスタート地点が置換可能
簡単な話、『相手が可愛いから惹かれた』ってのは、相手が可愛ければ誰でも良いのでABCの誰にでも置換が可能です。それは、主人公が『Aだから好きになった』のではなく、『可愛いから好きになった』というだけのことで、『可愛い』という記号を持つのなら誰にでも当てはまるんです。それでは話が始まらない。だからそこに別の理由を付け足す。外見だけでは無く『性格という要素』を。ハチベエをまた例にさせてもらうなら『目』の次に天幕の『性格』。でも、相手をスタート地点に立たせるだけなら、そこに立てば良いだけならば相手は鳳でも誰でも良いのです。


●ゴールへの区間を走るには理由が必要
というわけで、さすがに相手が誰でも良いというのはよろしくないので、そこに理由として『内面』が必要になってきます。外見だけでは無く内面。性格とも言い換えられます。
その外見と性格とがあって初めて恋になる、それがゴールへの区間を走る理由なんじゃないかと。ここで、『区間を走る』ということをもっと明確にしますと、相手に自分を良く思ってもらいたいとか、アプローチを仕掛けるとか、そんな感じです。ラブひなで言うなら、しのぶちゃんが景太郎に料理を作ってあげたりするのと同じこと。素子が景太郎に剣の勝負を何度も挑んで構ってもらいたがるのもそんな感じ。
相手の目を自分に向けたいのです。そんな一連の行動を、『区間を走る』という言葉にしたんです。マラソン無理矢理例えてるので・・・。
んで、素子が景太郎を振り向かせたい理由として、相手が『景太郎だから』ということが大きくなってきます。景太郎の優しさや人間としての魅力が素子を変えたわけですから。他のキャラでは代えがきかないんです。


●そしてゴール
あいこら」と「ラブひな」という作品を使って様々に例を挙げてきましたが、ゴールは最終回を迎えているラブひなを例に使わせてもらいます。ラブひなの最終回は2人の結婚式という形で終わりました。これをゴールとしても良いのですが、俺としては成瀬川逃避行のラストこそがゴールなんじゃないかと思ってます。逃避行の末、景太郎の事が好きだということを認めた成瀬川。最後は崖から落ちてキスをするわけですが、それで2人の関係が周囲に認められたわけですから。


●それでも物語は続く
ラソンはゴールした後、テープを切った後も少しだけ走りますよね?短距離走に例えると分かりやすいと思うんですが、急に止まれないから。それが1歩だろうが2歩だろうが、走るということに変わりはありません。テープ切った直後歩くなんてのはあまり見ませんし。この『余分に走る分』が後日談みたいなものだと思います。直前に書いたのがラブひなのラストだと仮定すると、結婚式とトーダイ遺跡の話がここに当たりますな。


●まとめ
とにかく俺は、こと恋愛マンガに関しては、テンプレートな展開を嫌います。それが何故なのかは自分事なのにわかりません。ですが、どこかで見たような展開ってのは、その後が予想できてあまり読みたくないんです。安っぽい展開も。ハーレムマンガで言うならお約束とかも俺はあまり好きじゃなかったり・・・。そういったものを排除した作品が読んでみたい。スタート地点が代替可能な作品が意外にあるので・・・。





とまぁ長々とまとまって無い変な文章書いといて何ですが、俺はあまり恋愛マンガを読んで無いんですよね。読んでても途中で飽きて読むのを止めるのがほとんどです。
何かアレですね。少年マンガの恋愛マンガと、少女マンガの恋愛マンガも視点とかが違う感じがするので、もう少し考えられたらな〜、なんて思います。